蓮生山熊谷寺

寺 歴

 草庵は熊谷氏が安芸に移ったことにより、一時おとろえたが、以後数百年にわたり念仏道場として法灯を現在まで伝えている。 現在の熊谷寺は、この草庵のあった地といわれ、本堂の西方には蓮生の墓と敦盛の供養塔がある。
 
 天正年間に徳川家康は開山の真俗にわたり巧勇あったことに感賞し、遠祖大光院殿御追福のため、百万遍念仏を修すべく仰せつけられ、 御朱印三十石を賜った。境内には家康・秀忠が立ち寄り筑波富士を御覧になった小富士見亭があった。
 
 智誉幡随意白道上人が天正十九年に浄財を勧募し、大伽藍を建立、蓮生山熊谷寺と称した。以来今日に至るまで寺門繁栄し、現世安穏、 後生浄土を祈り、福寿増長、子孫繁栄、諸願成就せること、開山蓮生法師の大伽藍のたまものである。
 
 江戸中期には本堂、十王堂、上品院、上生院等あったが、安政一年一月火災に遭い一塵に帰した。明治三十六年より約十六年8ヶ月を費やし、 大正四年入仏式が行われた。現在、敷地一町五反に、間口十四間、奥行十六間の総けやき入母屋造りの大本堂は、戦災を免れ、 関東一の木造建築物である。また、本尊下の戒檀廻りは長野善光寺、甲府善光寺とともに国内有数の構築物である。