蓮生山熊谷寺

「浄土宗の総大本山」

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 今回は、浄土宗寺院における総大本山のご紹介をします。このうちのいくつかの寺院つきましては、私も訪れたことがあります。
 
 
■ 総本山 ■

 
知恩院(ちおんいん)
 〒605 京都市東山区林下町400
 電話075-531-2111(代表)
 http://www.chion-in.or.jp/

 知恩院は浄土宗の開祖法然上人が30有余年にわたって念仏の教えを説かれた京都東山の地「吉水の草庵」に始まります。
 法然上人滅後23年、文暦2年弟子の勢観房源智上人が報恩のために伽藍を建立し、四条天皇より「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を賜り、 法然上人の御廟、念仏の根本道場の基礎を築きました。
 現在の寺観は江戸時代になって、浄土宗の教えに帰依した徳川家によって整えられたもので、大小106棟の建物からなっています。 室町時代にかかる諸堂最古の勢至堂や、日本現存の木造建築の門の中で最大の規模をもつ三門をはじめ、経蔵、御影堂、大方丈、小方丈、勅使門、 大鐘楼、集会堂、大庫裡・小庫裡などはいずれも重要文化財となっています。
 
 
■ 大本山 ■


増上寺(ぞうじょうじ)
 〒105 東京都港区芝公園4丁目7-35
 電話03-3432-1431(代表)
 http://www.zojoji.or.jp/

 浄土宗の七大本山の一つ。三縁山広度院増上寺(さんえんざんこうどいんぞうじょうじ)が正式の呼称です。開山は酉誉聖聡上人で、 江戸時代の初め源誉存応上人が徳川家康の帰依を受け、大伽藍が造営されました。以後、徳川家の菩提寺として、 また関東十八檀林の筆頭として興隆しました。さらに、江戸時代総録所として浄土宗の統制機関ともなっておりました。
 戦災によって徳川家の将軍やその一族の御廟(ごびょう)は焼失した。焼失をのがれた三門・経蔵・御成門などを含む境内は、 昭和四十九年完成の大本堂とともに、近代的に整備されております。


金戒光明寺【黒谷】 (こんかいこうみょうじ)
 〒606 京都市左京区黒谷町121
 電話075-771-2204(代表)
 http://www.kurodani.jp/

 浄土宗七大本山の一つ。 山号は紫雲山(しうんざん)といい、黒谷とも呼ばれています。 法然上人が師叡空上人から譲り受けた地とされ、その後信空上人とその弟子に引き継がれ伽藍を整えました。 室町末期の応仁の乱によって焼失しましたが、 ときの権力者信長、秀吉らの庇護を受け、江戸時代になると、徳川家の援助を得て復興しました。
  江戸時代には浄土宗四箇本山の一つとして君臨し、明治維新後衰退しましたが、昭和になり着々境内伽藍が整備されました。


知恩寺【百万遍】(ちおんじ)
 〒606 京都市左京区田中門前103
 電話075-781-9171(代表)
 http://www.jodo.jp/290004/03/

 浄土宗七大本山の一つ。長徳山功徳院(ちょうとくざんくどくいん)と号し、百万遍(ひゃくまんべん)と通称します。 知恩寺と称される以前は加茂の河原屋などといわれたこともあり、法然上人の弟子源智上人が興隆しました。後醍醐天皇の代、 七日間の百万遍念仏を厳修して、疫病をとどめたため、百万遍の寺号を賜わり、そのため、通称百万遍知恩寺、略して百山 (ひゃくさん)と呼ばれており、大数珠繰が有名です。また、重要文化財も多く存在しています。


清浄華院(しょうじょうけいん)
 〒602 京都市上京区寺町広小路上ル北丿辺町395
 電話075-231-2550(代表)
 http://www6.ocn.ne.jp/~jozan/

 浄土宗の七大本山の一つ。清和天皇の叡願(えいがん)により貞観二年頃、京都御所の構内に建造され、 御祈願などの清浄の業を精勤したといわれています。高倉天皇の代、 法然上人に勅授され浄土宗の寺院として発展しました。天正年中に至り、 豊臣秀吉によって御所内から現在の寺町に移されました。明治維新後も数人の皇族の位牌を供養していたため、 陵墓は宮内省の所管となっていました。
 略称は浄山(じょうざん)、呼び名も普通「じょうけいん」といいます。


善導寺(ぜんどうじ)
 〒839-11 福岡県久留米市善導寺町飯田550
 電話0942-47-1006(代表)
 http://www5.ocn.ne.jp/~zendoji/frametop.htm

 浄土宗の七大本山の一つ。 井上山光明院善導寺(せいじょうざんこうみょういんぜんどうじ)として九州の浄土宗の根本道場となっています。 開山は浄土宗の二祖聖光房弁阿弁長上人で、九州を遊行中に、仏法有縁の所としてこの地に一宇を建立したといわれています。 寺名は元井上山光明寺でしたが弁長上人が善導大師像を奉安して後は善導寺と称されるようになりました。
 九州鎮西の地の浄土宗の根本道場として長い年月興廃を繰り返し、現在天明六年建立の本堂をはじめとして伽藍が整備されています。


光明寺(こうみょうじ)
 〒248 神奈川県鎌倉市材木座6-17-19
 電話0467-22-0603(代表)
 http://park16.wakwak.com/~komyo-ji/

 浄土宗の七大本山の一つ。 天照山蓮華院光明寺(てんしょうざんれんげいんこうみょうじ)として江戸時代に関東十八檀林の一つに数えられています。 浄土宗の三祖然阿良忠記主禅師上人が鎌倉に移住し、悟真寺に入りましたが、その寺が蓮華寺と改名され、 九世祐崇上人のとき光明寺として現在の地に移転したと伝えられています。 明応四年、後土御門天皇から綸旨を賜わり勅願所となりました。 慶長年間頃は関東本山として発展しました。
 光明寺で毎秋行われる十夜法要は、浄土宗の十夜法要の起源とされています。


善光寺大本願(ぜんこうじだいほんがん)
 〒380 長野県長野市元善町500
 電話0262-34-0188(代表)
 http://www.daihongan.or.jp/

 浄土宗の七大本山の一つで、定額山善光寺(じょうがくさんぜんこうじ)と称します。 善光寺は現在浄土宗大本山大本願と天台宗大本山大勧進の二つの機構によって運営されており、両本坊の住職が善光寺住職となっています。 大本願は代々皇族の尼公上人が法灯を継がれている。
 善光寺の創建は奈良時代頃まで溯れると推定されますが、以来、一光三尊本尊の阿弥陀如来は人々の信仰を集め、 江戸時代には出開帳も多く行われました。現本堂は宝永四年の建立で国宝となっています。

 
■ 本山 ■


蓮華寺(れんげじ)
 〒521 滋賀県坂田郡米原町番場511
 電話0749-54-0980(代表)
 http://www.pref.shiga.jp/minwa/42/42-09.html

 北条仲時の一行432名が眠る寺として有名なこの寺は、聖徳太子の創建と伝わる寺であり、もとは法隆寺と称していました。 鎌倉中期に雷火により焼失しましたが、その後、一向宗の始祖である一向上人が再興。寺名を蓮華寺にしたといわれています。
 本堂の右手奥には北条仲時一行の墓がずらりと並んでいます。元弘3年、後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒の兵に追われた六波羅探題の仲時は、 この馬場の地で手兵432名とともに自刃し、当時の住職が弔いました。寺には、戦死者の名を記した過去帳「陸波羅(ろくはら)南北過去帳」 があります。ほかにも、弘安7年在銘の梵鐘、一向上人像など、寺宝も多く残されています。
 また、境内には、番場の名を有名にした長谷川伸の名作『瞼の母』の主人公、番場の忠太郎ゆかりの忠太郎地蔵もあります。
 
 
■ 特別寺院 ■


誕生寺(たんじょうじ)
 〒709-36 岡山県久米郡久米南町誕生寺808
 電話08672-8-2102(代表)
 http://www.d3.dion.ne.jp/~tanjoji/index.htm

 誕生寺は、浄土宗他力念仏門の開祖、法然上人降誕の聖地であり、建久四年に法力房蓮生(熊谷直実)上人が、 師法然上人の命を奉じこの地に来て、上人誕生の旧邸を寺院に改めたものです。
 本堂須弥壇の位置は上人誕生の室のあった所と伝えられています。。
 爾来八百五十年の星霜を経て法灯絶えることなく全浄土教徒の魂の故郷と敬仰されており、法然上人(圓光大師) 二十五霊場の第一番となっています。
 境内には、誕生椋、片目川、産湯の井戸など、永き歴史を物語るものや、 熊谷蓮生法師が京より持参した法然上人御自作の浄土開宗四十三歳念仏体得歓喜の姿の御本尊円光大師(法然上人像)像があります。


光照院門跡(こうしょういんもんぜき)
 〒602 京都市上京区新町通上立売上ル安楽小路町425
 電話075-441-2254(代表)
 http://subaru-world.com/subaru2/nogaku/koshoin.htm

 延文元年、後伏見天皇の皇女進子内親王が出家され、自本覚公宮と改められ、室町通一条北に天台、浄土、禅、 律の四宗兼学道場として創建されたのが起こりと伝えられる浄土宗の尼門跡寺院です。
 その後、焼亡し応仁以後にもと持明院仙洞御所のあった現在地に再建されました。開山以来、代々皇女が入寺され、 寛政元年に光格天皇により常盤御所の号を賜わりました。
 歴代門跡は、華道に通じ当寺を家元とする「華道常盤未生流」が生まれています。


得浄明院(とくじょうみょういん)
 〒605 京都市東山区林下町459
 電話075-561-3767(代表)
 http://www001.upp.so-net.ne.jp/miyabimemo/50_naiyo/tokujyomyoin.html

 東山の知恩院に隣し、信州善光寺大本願の京都別院の尼寺として、明治二十七年に建立されました。 開山は信州善光寺大本願第百十七世誓圓尼公(伏見宮邦家新皇第三王女)で、その大部分の寺域を令兄久邇宮朝彦親王の配慮に依っています。
 戒壇巡りとは一光三尊像を安置してある台座のことで、真実至誠の心を捧げ戒壇を巡れば、即ち功徳を得ることうたがいなしといわれています。


三時知恩寺(さんじちおんじ)
 〒602 京都市上京区新町通上立売南入ル
 電話075-451-2211(代表)
 http://www.ne.jp/asahi/hiro/papa/sanjichionji.htm

 入江御所とも呼ばれる浄土宗の尼門跡寺院です。建物は天明の大火で焼失し、桃園天皇皇女「恭礼門院」 の旧殿を移し再建されたと伝えられています。寺号の由来は「知恩寺」と号していましたが、 昼の三時の勤行を当寺で修するように定められてから「三時知恩寺」改めたと伝えられています。本尊は「阿弥陀如来像」で、本堂には唐伝来の 「宮導大師像」が安置されています。
 
 

 
 以上、簡単ですが総大本山及び特別寺院のご紹介をさせていただきました。参拝等につきましては、 事前に該当寺院にお問い合わせいただいてからがよろしいかと思います。

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