去る10月11日、2週間ばかり四国・中国・九州と旅行して参りました。今回は四国に到着し、2番目の参拝寺院、 仏生山法然寺についてお話しします。
山門前には前池という大きな池がある。この仏生山町にはこのような池が数多く存在する。
法然寺は、高松市の南部、仏生山町にある古寺である。建永2年(1207)に、 法然上人が御年75歳で四国に流された際にお住みになった小松庄生福寺の遺跡である。ここを江戸時代に高松藩祖松平頼重公が復興して、 代々の菩提寺とした。
徳川家康公の孫であり水戸の徳川光圀公の実兄にあたる頼重公は法然上人を追慕して浄土宗に帰依し、高松入国ののち、寛文8年6月 (1668)竹井齏廃を奉行として3年の歳月を費やして三十ニ門、二十余宇の仏閣僧房を建立した。 法然上人自作の阿弥陀仏および上人の真影を本堂に安置し、また上人と松平家の墓所を山頂に築いて「般若台」と名づけ、 檀下に来迎堂をもうけて弘法大帥自作の阿弥陀如来ならびに二十五菩薩を祀り、不断常念仏会を行わせた。
これにより法然寺は名実ともに浄土宗四箇本山に準ずる巨刹となり山号を仏生山、院号を来迎院、 寺号をを法然寺と呼ぶことになったわけである。
総門から「二河白道」にみたてられた松平家の参道をゆくと黒門を経て仁王門に至ると、その上の仏生山の頂上は、松平家一門の墓地 「般若台」となり極楽の世界を形づくっている。この総門から山頂に至るたくみな諸堂の配置は、法然寺の特色となっているそうである。また、 古来より「さぬきの寝釈迦」と呼ばれる、全長約3mの著名な釈迦涅槃像が安置してある涅槃堂の彫像群は、他に類例少なく、 さらに来迎堂の二十五菩薩立像群は極めて珍しいものでる。(* 本文は仏生山法然寺HPより抜粋)