去る10月11日、2週間ばかり四国・中国・九州と旅行して参りました。今回は四国に到着し、最初の参拝寺院、 熊谷寺についてお話しします。
徳島港から徳島自動車道路に乗って数十分、土成I.C.より10分ほどのところ、土成町に熊谷寺という寺院がある。 蓮生法師と関わりがあるのかないのか?道路を挟んで向かいの池の畔には当寺院と同様に稲荷神社もある。
ただし、「ゆうこくじ」と読むのではなく、「くまたにじ」と読む点である。私の住む熊谷(くまがや) のように、昔は熊の出没する谷であったのだろうか?しかし、この寺院以外にそのような名前のつく地名も建造物もない。
熊谷寺(くまたにじ)は、四国四拾八カ所巡りの8番札所となっており、私が訪ねたときには、 観光客はもとよりお遍路さんたちも多数参拝しており、般若経を読む声が空に響いていた。
熊谷寺(くまたにじ)の正式名称は真光院熊谷寺といい、弘法大師空海開宗の真言宗寺院である。やはり、 蓮生法師との関係はこれといって見つからない。
住蓮・安楽の事件にからんで、法然上人は四国へ配流となった。このとき、法然上人は四国各地をまわり、念仏の教えを広めたと言われている。 現に、法然上人を開山とする仏生山法然寺という寺院まで存在している。法然上人が自分の弟子の蓮生法師(俗名は熊谷次郎直実) について話をしたりして、それが語り継がれて熊谷寺(くまたにじ)となったのであろうか?
また、蓮生法師は性格は実直、悪く言えばひとつのことを思うと周りが見えなくなってしまうといったものであったから、 配流された上人の健康を心配し、四国まで着いていったから、そういった名前が残っているのであろうか?
事実、四国には蓮生法師の墓(慰霊碑?)と称されるものが建立されている寺院も存在する。
結論には至らなかったが、いずれにせよ、蓮生法師の話は全国各地で語り継がれており、それもまた真偽は追求せず、 こうでもないああでもないと話の種にでもなれば、それでいいのかもしれない。