蓮生山熊谷寺

熊谷直実公生誕地、蓮生法師往生之地

散る花と人の命

190 views
約3分

最近暖かい日が続いておりまして、桜も早々に開花宣言が発せられました。

桜というものは私たちを楽しませてくれます。桜の下に人は集まり、話をしたりはしゃいだり、歌を歌ったり踊りを踊ったり、私たちの心を幸せな気分にしてくれます。

今咲いている桜の花もいずれ散ってしまいます。開花して満開となり、やがて散っていく。この桜の様を人の出会いや別れに私たちはなぞらえます。

しかし、桜の花と人の命には決定的な違いがあります。桜の花は今年散ってしまっても、夏の間に養分を蓄え、秋に芽を宿し、寒い冬を経て、暖かくなるにつれてその蕾を膨らまし遂にはきれいな花を開かせます。一年前と同じように私たちを楽しませてくれます。

でも、一度散ってしまった人の命は次の春を待っても蘇りません。同じように私たちの前に現れてはくれません。私たちはこの人との別れをもう二度と会えない永遠の別れと考えます。それゆえ、別れはつらく苦しく、私たちの心は深い悲しみに陥ってしまいます。

ところが、浄土宗を開かれた法然上人は、ご自身が亡くなる間際に、その別れを悲しみ、涙を流すお弟子さんたちに対してこうお話しされています。

「このたび浄土に往生せんこと、ただ弥陀の本願の船に乗り、その住処を浄土に移さるに過ぎたる話」

この世界を離れ浄土に往くということは、ただ阿弥陀様の全ての人を救いたいという有難いお慈悲という名の大きな願いの船に乗って、その住処を浄土に移すだけのこと、浄土に引っ越しする、それだけのことなのですよ。

法然上人はこうお話しされています。みんなの前から消えていなくなってしまうわけではない、私は浄土にいますよ、と。

この浄土という世界に私たちも往生することはもちろん可能です。この今の命をしっかりと生き、いつか命終える時を迎えたとき、浄土へと往生させていただけます。もちろんそのためにはお約束ごとがあります。南無阿弥陀仏というお念仏をお称えすることです。阿弥陀さま頼みますね、と南無阿弥陀佛とお称えしますと、その声を阿弥陀さまは必ずお聞きくださっております。そして命終えた時には必ず迎えに来てくださり、必ず浄土へと導き往生させてくださいますその浄土で先に往かれた愛するご家族にまた必ずお会いできます。

この世界の別れは永遠の別れではなく、いっときの別れ、お念仏をお称えしていればまた必ず浄土でお会いできるのですよ、と私たちに教えてくださっております。

いつの日か愛するご家族に再び会い、また昔のようにみんな一緒に楽しく暮らしていけるよう阿弥陀さまにお念仏をお称えしておねがいをしましょう。

Share / Subscribe
Facebook Likes
Tweets
Hatena Bookmarks
Pinterest
Pocket
Evernote
Feedly
Send to LINE

お念仏・詠唱の会


 毎月第三月曜日
 午後一時半から三時半

 皆さんで楽しくおしゃべりをしながら
木魚を叩き、お念仏を称え、仏法を学ん
でいく会です。
ご気軽にご参加ください。